2017年12月14日

伏見城跡に秀吉の石垣

豊臣秀吉が16世紀に築いた伏見城の石垣が京都市伏見区で初めて見つかったと、
発掘した民間の調査会社「四門」(東京)が14日、発表した。

関ケ原の戦いの後、徳川家康が再建した石垣の下から発見され、
家康が豊臣家の遺構を残すまいとした「埋め殺し」がうかがえるという。

 同区桃山町のマンション建設に伴う発掘調査で発見。
家康が築いたとされる花こう岩の石垣から、さらに約2メートル深く掘ったところ、
秀吉が築いた自然石の石垣が出てきた。市文化財保護課が学術的な価値を確認した。

 伏見城は、秀吉の隠居所として建てられ、1600年に関ケ原の前哨戦「伏見城の戦い」で全焼。
翌年に家康が再建を始めた。
家康の石垣は、秀吉の石垣の上に覆いかぶせるように造られていたという。


●伏見城の戦い

伏見城の戦い(ふしみじょうのたたかい
1600年8月26日(慶長5年7月18日)から1600年9月8日(8月1日)まで行なわれた
関ヶ原の戦いの前哨戦。

開戦の経緯
豊臣秀吉の死後、大老・徳川家康は上杉景勝が、
豊臣政権に対して反逆を企てたとして会津征伐を決定。
慶長5年6月18日に伏見を立ち東国へ向かった。
一方大坂城にいた前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は7月17日、
家康が大坂城西の丸に残していた留守居役を追放して、家康に対する13か条の弾劾状を発布。
これに先立つ7月15日の時点で家康の家臣鳥居元忠らが在城する伏見城は籠城を開始しており、
反家康の立場を明らかにした西軍はこれに対する攻撃を準備する。
守る城側の兵力は城兵1800人に大坂城西の丸から移動してきた500人を加えた計2300人。





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不適切な服装

不適切な服装がセクハラの原因、女性の米議員発言で物議

(CNN)
米連邦議会下院の民主党会派の重鎮である女性のマーシー・カプター議員(71)が
他の同性議員に性的嫌がらせ行為は不適切な服装が原因と示唆する言動を示し、
物議を醸していることが14日わかった。

米議会によるセクハラ行為への対応策の改善を話し合うため13日開かれた
民主党議員の非公開会合で口にしたという。
カプター議員は発言を求めて立ち上がり、非常に多くの議員の服装に問題があり、
嫌がらせ行為を「招いているようなものだ」と述べたという。

会合の経緯に詳しい3人の民主党筋によると、同議員はまた、
女性の議員スタッフや記者の身なりにも言及し、
露出度が高いと自ら判断する服装の着用にも罪があると主張した。

民主党筋によると、これらの一連の発言を受け、
会場内は大きな衝撃を受けたような雰囲気に包まれたという。
出席議員の1人はCNNの取材に、居合わせた全員が言葉を失ったと振り返り、
その後議論は起こらず会合は直ぐに閉会したと述べた。
また、女性スタッフの1人は、出席者は「今の言葉は本当なの?」と言い合ったという。

同議員はCNNに書簡の声明を寄せ、
「(セクハラの)犠牲者にも責任があることを含んだわけではない」と主張。
「いかなる状況でもいかなる方法でも犠牲者に非はない」とし、
議会内や社会での広範な問題から女性を守る上品な身なりや服装規定に言及したと指摘した。
カプター議員は1983年から下院議員を務め、現在は歳出委員会の幹部となっている。
米連邦議会両院ではここ数週間、所属議員のセクハラ疑惑が噴出している。






posted by sanchez at 19:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月13日

サーロー節子さんの講演

「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」 

ノーベル平和賞の授賞式・・・ 広島で被爆したサーロー節子さんの講演(全文)

 皆さま、この賞をベアトリスとともに、ICAN運動にかかわる
類いまれなる全ての人たちを代表して受け取ることは、大変な光栄です。
皆さん一人一人が、核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、
私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてくれます。

 私は、広島と長崎の原爆投下から生き延びた被爆者の一人としてお話をします。
私たち被爆者は、70年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。

 私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために
被害を受けてきた人々と連帯しています。
長く忘れられてきた、ムルロア、インエケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなどの人々と。
その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、
その文化を永遠に混乱させられた人々と。

 私たちは、被害者であることに甘んじていられません。
私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。
私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと
無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。
私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。
核兵器と人類は共存できない、と。

 今日、私は皆さんに、この会場において、
広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。
皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、
25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。
その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。
彼らの死を無駄にしてはなりません。

 米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。
私はその朝のことを覚えています。
8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。
私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。

 静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で
身動きがとれなくなっていることに気がつきました。
私は死に直面していることがわかりました。
私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、
かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。

 そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。
その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ!
 あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? 
そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うのです。
私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。
その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。
私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。

 幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。
恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒こげになり、膨れあがっていました。
体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。
飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて開き、腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。
人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延(まんえん)していました。

 このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。
住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。
その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。

 その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、
次々と不可解な形で亡くなっていきました。
今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。

 広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。
彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。
彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。

 私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されている
すべての罪のない子どもたちを代表しています。
毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、
危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。

 私たち被爆者は、苦しみと、生き残るための、
そして灰の中から生き返るための真の闘いを通じて、
この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。
くり返し、私たちは証言をしてきました。

 それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。
彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったという
プロパガンダを受け入れています。
この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。

 9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、
この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。
核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、
国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。

 今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき
、私は喜びで感極まりました。
かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、
人類の最良のときを目の当たりにしました。
私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。
これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。
そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。
彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという
現実をもはや隠し通すことができません。
「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。
私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。

 核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている
国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。
そして、あなたたちの行動こそ重要であることを知りなさい。
あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。
私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。

 世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。
核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。

 私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、
前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。
今、私たちの光は核兵器禁止条約です。
この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、
広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。
「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? 
そこに向かってはって行け」

 今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、
核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。
どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、前に進み続け、
この光を分かち合い続けます。
この光は、この一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり、誓いなのです。



沈黙の閃光/ セツコ・サーロー





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